平敷屋朝敏辞世の句考察
引きがそこなたら垢もぬがぬ
組踊り手水の縁(ハンザヤマー)で知られる琉球王国の稀代の天才文人革命家・平敷屋朝敏は、尚敬王の治世に三司官蔡温の私怨によって
抹殺され無念の辞世を遺し、安謝の珊瑚の白砂の刑場でハリツケの極刑に処せら天逝した。
三十五歳の若さでこの世を去った朝敏にその当時の民衆の誰もが朝敏の不憫に涙したが独裁的な蔡温に反発する勢力は一掃されつくし、巷の世相には朝敏に関する話題は暗黙的タブーとなってしまった。後世は朝敏を偲ぶ資料を奪われてしまった。
いきおいこれだけ稀で優れた文人がその人間性のすべてを唯一作品にだけしか見ることができないほど朝敏の情報を限りなく消滅し尽くしていることに驚かずにはいられない。
事件の内容に関しては現代に伝わる資料が無いので推測し思考することしかできはしないが・・・
これは権力の中枢を牛耳っていた蔡温の強大さを象徴する証であり蔡温がことのほか朝敏一派を怨んだ証左でもある。
私怨だからこそ事件性の重大な歴史的なクーダター(謀反)という王国のハプニングを当時の役人達が記録として遺せなかったのである。
記録はすべて際温の都合のよい事実へと置き換えられて不都合はすべて抹消してしまっている。
だからこの天才文人の朝敏に関する後世の遺産はわずかな作品だけという怪奇な現象になっているのだと考察できる。
日本の刑罰史上を遡ってもこれだけの大量な極刑履行事件は類を見ない。
藤原氏全盛の奈良平安時代のクーダター事件でさえ首謀者の一味皆殺しなどは無かった。
わずか首謀の要人2,3人が斬首されて結着するのがノーマルなのだが・・・。
この事件では罪状が「落書きによる騒乱罪」であることを明示していながらも15名の大量極刑。刑の執行方法も極めて残忍な多勢の刑吏(朝敏の場合には16名以上であったらしい・・・。)が木のささくれ立ったやり状の棒で突き上げては抜き、また突き上げては抜きと絶命するまで数時間かけて苦悶をあたえて執行したようである。
朝敏はこんな刑の執行にも気力を消滅させることも無く刑に耐え抜いていたようで、これを看かねた朝敏の弟が自ら申し出て一突きで落命させ冥途へ旅立たせた。
これほどこの革命家朝敏一派への憎悪と怨みは逆に考察すれば蔡温にとっては一大恐怖の要因であった証である。だからこそ根こそぎに消し去ってしまったのであろう。
この事件の真相を認識し闇に放り込まれた不透明な部分を正しく理解し解明しない限りこの事件はただの「落書き事件」として世の中に定着し闇に葬り去られたままとなろう。
乱れ髪さばく 世の中のさばき
引きがそこなたら 垢もぬがぬ
この辞世の句には無念の朝敏の切ない思いだけではなく最後まで法のない国家への辛らつな批判が込められている。
間違いを糺すやり方にこそ間違いがある、だから素直にはなれぬっ。・・・と朝敏は最後まで戦って世を去った。
あたかも蔡温に対する直言であろうし、また朝敏を愛する取り巻き達への朝敏の心意気を語ったものでもあろう。
ここで考えてほしい。
この辞世の句は朝敏の得意な大和文学の和歌の五七五七七調ではない。
朝敏にはない琉歌の八八八六調で辞世を遺している。
これこそが朝敏が後世へ伝えたいメッセージなのである。
朝敏は辞世の句を詠むにに臨んで自分のアイデンティティー(identity)を主張したのである。
琉球の人間として琉球を愛し琉球の人々を愛していることをこの琉歌の辞世の句に遺したのである。
琉球のすべての人に琉球の言葉で訴えているのだ。
だからこそ和文学の大家といえるほどの万葉言葉の卓越した朝敏があえて琉球の言葉で辞世の句を遺している。
当時の三司官蔡温が後世へ伝えている蔡温の偉大だとする業績が記録的にどうであろうとこの辞世の句が語る朝敏の真実の叫びを現代の沖縄の人々は真摯に受け取らなければならないだろう。
もし平敷屋朝敏が生きているとすれば・・・
私にそう語るであろうから・・・。
「大和の文化などは無用じゃっ、 琉球は大国清の文化を取り込むのだっ。 そうしなければ琉球王国は滅するしかないっ!」
朝敏一派の断罪を決定した首里城に入ると・・・この当時の蔡温の非情な声が正殿の絢爛豪華な伽藍の奥から呻いて聞こえる。
人を誅して国を守る。
人を糺して国を造る。
蔡温と朝敏の国と民衆への価値観が違っていたのだろうか・・・。
私は朝敏の罪状がどうであれ・・・
平敷屋朝敏という男が大好きだ。
好きだからこそ朝敏の無念の腹が見えてくる。
Writer by H.Haga.